ピアノ先生ブログ
台湾でのコンサート そして旅行 6
翌朝はホテルのチェックアウトぎりぎりの11時に高雄を出発し、1時間ちょっとで台南に到着しました。
台南の古い町並みが残っている通り
奥には薬の神様を祭ったお寺
反対側の通り
昼間はお店も閉まっていて人通りがありませんが、夜には喫茶店やバーなどが開いてにぎやかになり、また街灯がつくととっても雰囲気があるそうです。
1件開いてるお店がありました.
ご主人が描いた絵などを売っているお店でした。
その御主人の話によると、この通りは日本の統治時代にできた通りで、最近までここでは日本語か台湾語しか通じなかったそうです。
さて、ランチです。
ここは「度小月」というガイドブックにも載っている有名な担仔麺のお店。
担仔麺を作っている人
ソーセージたまごの醤油煮と肉団子これが担仔麺。とってもおいしいけど量が少なめ。
「おかわりしていい?」て雪豊に聞いたら
「いいけど、このお店でランチ終わりじゃないからね。」と言われて次へ。
日本人がこのお店に来ると担仔麺のドンブリがどんどん重なっていく、と笑ってました。
2件目はご飯のお店
ちょっと味の付いたご飯に豚肉の煮たものとそぼろ、キュウリがのっています。
「さぁ、次はデザートよ。」と連れて行ってくれたのがこのお店。
ドライフルーツがいっぱい。
フルーツのシロップ漬け。ヘルシーですね。
次に向かったのは孔子廟
1665年に建てられた台湾で一番古い孔子廟だそうです。
昭和天皇が大正12年皇太子時代にここを訪れた時の写真が飾ってありました。
そしてここは赤崁楼
1653年に台湾南部を占領したオランダ軍によって建てられたそうです。
その後地震で全壊し、これは立て直されたもの。もともとの基台はここに残っているだけ。
赤崁楼の隣に武道館がありました。
これも日本統治時代の建物のようです。
ふらふらしているうちにまた夕飯の時間。
すごく混んでいるお店です。
豚の腸のスープ、お肌にいいというので頑張って食べましたが、ふだんモツなどもあまり食べないのでちょっと苦手。
タウナギ(日本のうなぎより大分小さい)を入れた甘めのあんをかけたやきそば。
2件目はここ
いろいろなものが並んでいます。
これは前の日に高雄で食べたお魚と同じかな?
ごはんに魚と野菜のスープをかけたようなもの
これも何かの内臓
これで台南食べ歩きもおしまい。
8時ごろ台中への帰途に着きました。
台湾でのコンサート そして旅行 5
台湾4日目、この日は高雄へ向かいました。
朝11時前に出発して、途中休憩をはさんで着いたのが2時ごろ。
早速ランチです。
ご飯に豚肉の煮込んだものがかかっているのと、もうひとつは細切りの鶏肉とタレがかかっていて、あっさりしていてとてもおいしかった。
これはお魚、何だかわからないけど淡水魚のようでした。
この日は雪豊の友人が、6時半に私達を広東料理のお店に招待して下さる約束だったのでお昼は軽めに済ませました。
高雄は港町、日本の統治時代鉄が大きな産業で、それをあちこち運ぶために大きな駅がありました。
暗くて分かりずらいですが、高雄港駅 今は使われてません。
レールが48本あると言うのですから、本当に大きな駅だったんですね。
今はその跡地に鉄のオブジェが並んでいます。
この日の高雄のホテル
この3階にあるレストランで夕飯をごちそうになりました。
雪豊が「friend, friend」と言うのでてっきり同年代の方と思っていましたが、かなり年上の今は引退なさった元社長さん。彼女はどこにでも知り合いがいます。
このレストランは歐氏の行きつけのお店らしく、シェフが挨拶に来てくれました。
シェフからのサービス、豚肉のサラダ
これも豚肉ですが、皮がパリッとしていて脂がのっているのにちっとも脂っこくなくて美味。
トマトにアワビ
魚のフライ
写真に撮るのを忘れてしまったけどこの後デザートを戴き大満足。
夕食のあとは川沿いを散歩しました。
高雄は近代的な大都市です。
歐氏と別れた後、ホテルのそばの地下鉄の駅に有名なドームがあると言うので行ってみました。
地下鉄美麗島駅の入り口
きれいなガラスのドーム
グランドピアノがありました。ここでコンサートがあるのかな?
明日は美食の町 台南へ。
台湾でのコンサート そして旅行 4
コンサートの終わった翌日は、皆で台湾有数のリゾート、日月潭へ。
ここは蒋介石の別荘があったところで、台湾八景の一つだそうです。
台中からは車で70分ほど。
この辺りはアッサムティーの栽培でも有名で、雪豊の友人のおじさんが経営しているという茶園へ連れて行ってくれました。
原種のアッサムティーと新種のものと試飲させて頂きました。
飲み慣れているヨーロッパのものに比べると、限りなくウーロン茶に近い感じがします。
更に車を走らせて日月潭へ向かう途中、露天の果物屋さんで釈迦頭(シャカトウ)を見つけ、車を止めてもらいました。
手前右がパッションフルーツ、その奥にあるのが釈迦頭。
お釈迦様の頭に似ているのでこの名がついたそうで、3年前の台湾旅行で台東に行った時丁度季節でとってもおいしかったのを覚えています。
高級ホテル ラルー・サン ムーン レイク からの眺め
3年前は曇っていて良く見えなかった景色、この日も霞みがかっていたもののなんとか向こうがみえました。ずっと雨が降っていないそうですからしょうがないですね。
ホテルの隣にある蒋介石の別荘
もともと日本の統治時代に建てられて使っていたものを蒋介石が別荘とし、今は記念館になって日月潭の歴史を展示しています。
この後台中に戻り、翌日日本へ戻る知里さん達とはここでお別れ。
私と母は雪豊のアパートへ滞在させてもらいました。
台湾でのコンサート そして旅行 3
コンサートが終わり、控室で着替えていると友人の雪豊が
「これから謝先生の弟子のエキシビションに行くわよ。」と。
2台の車とスクーターに分かれて、皆でエキシビションの会場へ向かいました。
壁に直接描かれた楽しい作品がずらり。
このように人が加わることで完成します。
そしてまだまだ現在進行形でした。
すっきり頭の切り替えができたところで、夕飯です。
皆でお鍋をいただきました。
これは酸菜白肉火鍋という中国の東北料理で、発酵させた白菜と豚バラ薄切り肉の鍋でスープに酸味があっておいしかったです。
謝里法氏と席がお隣だったのでいろいろお話ししました。
謝氏は御齢76だそうですが、本当に身のこなしも軽くとても若くてらっしゃいます。
小学校3年生の時に終戦になりそれまで日本語で教育を受けていたのと、その後パリに留学した時に日本人がたくさんいて日本語を使ったので未だに日本語を忘れずに話せるとおっしゃっていました。
奥さまとも二まわり違うとか・・。それが若さの秘訣?
ここで謝先生ご夫妻を送って行くという雪豊と別れて、彼女の弟子が私達を夜市に連れて行ってくれました。
日曜日ということもあってすごい人出、まるでお祭り。
ここは近くに大学があり毎夜学生が繰り出すそうです。
帰りに近くの変わった公演に連れて行ってくれました。
ここら辺は最近市役所が引っ越してきて、今開発中で高層マンションが建ち、高級住宅街となりつつあるそうです。
10時ごろホテルへ戻ると、今度はせっかく台湾に来たんだからマッサージを、ということになりタクシーで出かけました。
観光客相手のちょっとこぎれいなところ、日本人が多かった。
くすぐったがりの私は笑ってばかり、特に足がダメ。
これでコンサートの疲れもすっかり取れ、また翌日から今度はしっかり観光です。
長かった1日が終わりました。
台湾でのコンサート そして旅行 2
台湾2日目、10月20日のコンサートは午後2時半からです。
朝食を8時半に一緒に取ろうとパートナーの知里さんと約束していたのに、起きたら8時20分。
いつも必ず6時には目が覚めると言う母を信用していたら、眠れそうにないので睡眠導入剤を飲んでしまったそうで、すっかり寝坊してしまいました。
あわてて知里さんに電話して朝食へは先に行ってもらうことに。
それでも何とか10時には支度ができ、迎えに来てくれた雪豊と彼女のスタジオへ向かいました。
児童公園の一角にある彼女のスタジオ。
ここで1時間半ほど練習させてもらい、用意してくれたおにぎりとグアバで軽くランチを済ませコンサート会場の教会へ着いたのが1時過ぎ。
リハーサルが終わりいよいよ開演です。
配られたプログラム
曲の紹介など、久しぶりに辞書を片手に私が英語にしたものを、雪豊が中国語に訳してくれました。
彼女の進行でコンサートの始まりです。
とっても丁寧に私達や曲の紹介をしてくれています。
私達は中国語が全くわからないので出るタイミングが計れず舞台袖をウロウロして、拍手が起こって出て行くという感じでした。
日本の曲「秋の歌のメドレー」の前には私が曲の説明をし、それを雪豊のお父様の従兄弟さんが訳して下さいました。
この何春樹氏は現在台中市の政府顧問、国会議員もなさったことがあるそうで、本当に流暢に日本語を話されます。
ご自身「私は日本人でした。」とおっしゃっていて、大変な親日。
コンサートも一番前でニコニコ大きな拍手をして聴いて下さっていました。
日本の曲は3曲とも好評で、「秋のメドレー」はアンコールでリクエストがあったほど。
「赤とんぼ」など、年配の方はもちろん、お若い方も「おばあさまが歌っていたから知っています。」なんて言って下さって嬉しかったです。
コンサートが無事終わり、いらしてくださったお客様達との写真撮影が続きました。
後列1番左より友人の雪豊、私のお隣左より3番目の方は画家の謝里法氏、(あとで知ったのですが謝氏は台湾を代表する芸術家だそうで、台湾国内ではどんな年代の人も知っているそうです。やはり日本語が上手でした。)そのお隣は謝氏の奥さま、知里さんのお隣は陶芸家の方です。
この陶芸家の方(すみません。お名前忘れてしまいました。)からは素敵なお茶碗戴きました。あとでご紹介します。
今回私達が用意したプログラムはおよそ1時間でしたが、休憩と曲の説明などが入り2時半に始まったコンサートが終わったのは4時半近く。
ありがたいことに彼女の顔の広さで本当にたくさんの方にお出でいただき、そして喜んでいただけたようなので良かったです。
又私達にとっても海外で演奏すると言う貴重な機会、大変良い経験となりました。
この後、着替えてホッとする間もなく雪豊の立てたスケジュールで次の予定へと移動したのですが、これがすごく良かった。
コンサートが終わった後というのは、ああだったこうだった、といろいろ考えてしまうのですが、スコーンと頭の切り替えができて、さすが演奏会慣れしている雪豊だなぁって。
長い1日はまだ続きます。